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粋人が多い
中津川の食文化

 中山道の宿場として発展した中津川は、地の利を活かした商業のまちでした。江戸時代には京や江戸の文化が入り、東濃屈指の豪商たちが、中津川独自の文化を作り上げました。そのひとつが鳥屋(とや)。大陸から渡ってくるツグミを捕まえ、鳥屋の囲炉裏端で焼いて食べるのが粋人たちの秋の楽しみで、大きな料理屋には必ず鳥屋がありました。また、豪商たちは別荘を兼ねた鳥屋を持っていました。鳥屋は一種の社交場で、江戸や京の文化人たちも鳥屋をよく訪れたといいます。


 京都、金沢に次ぐ「日本三大和菓子処」に数えられる中津川。特に栗きんとんに代表されるとおり栗菓子には定評があり、「栗菓子の里」と呼ばれています。
日本百名山のひとつ恵那山(2189メートル)の麓に広がる中津川は、豊かな自然に恵まれたまち。山の恵みをふんだんに使った独自の食文化があります。そのひとつが「栗」。大自然の中で育つ山栗はほくほくと甘く、栗と一緒に炊く「栗こわめし」は、すでに江戸時代には名物でした。



もちろん栗はお菓子作りにも使われました。

 古代から交通の要衝として栄えた中津川。江戸時代には中山道46番目の宿、東濃随一の宿として、皇族や幕府の要人も多く宿泊しました。もともと独自の文化を持ち、京や江戸の文化が入りやすかった中津川には粋な文人が多く、中津川の豪商たちによって俳句や茶の湯が発達。庶民にも広まっていきます。必然的に「味にうるさい」人も多くなっていきました。その味の伝統は今もなお受け継がれ、「中津川の食べ物はおいしい」といわれます。
茶の湯でお菓子は重要な脇役。お茶の席ででしゃばりすぎず、そして粋人たちをうならせる一級品となるお菓子を作るために、中津川の和菓子職人たちは切磋琢磨し合いました。そして生まれたのが栗きんとんなのです。
中津川は栗きんとん発祥の地。9月9日は「栗きんとんの日」として、中津川駅前には「栗きんとん発祥の地」のも建てられています。